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東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)88号 判決 1963年5月23日

原告 岡部健夫

被告 特許庁長官

主文

昭和三三年抗告審判第一、九一三号事件について特許庁が昭和三六年五月二三日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

原告代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二、請求の原因

原告代理人は、請求の原因として次のように述べた。

一、原告は、昭和三一年七月九日訴外深井安児夫から、同人の発明にかかる噴霧方法につき特許を受ける権利を譲り受け、同日これが特許を出願したところ(同年特許願第一七、八八四号)、昭和三三年七月一日付で拒絶査定を受けたので、これに対し昭和三三年八月五日抗告審判の請求をし(同年抗告審判第一、九一三号)、なお抗告審判係属中昭和三六年三月二八日付で右発明を「エアロゾル性混合物の霧化圧力付与方法」として明細書の訂正をなし、さらに同年五月一日付で右出願を分割し、旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第九条同法施行規則(同年農商務省令第三三号)第四四条に基き、右発明を「エアロゾル性消火剤の製造方法」として明細書の訂正をなし、同時に新たに「エアロゾル性ラツカーの製造法」・「エアロゾル性ローシヨンの製造法」・「エアロゾル性ホータイの製造法」の特許出願をした(昭和三六年特許願第一九、四一六号ないし第一九、四一八号)。ところが、特許庁は、同年五月一二日審理を終結したとして、同月二三日抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をし、その審決書謄本は同年六月一二日原告に送達された。

二、審決の理由

審決は、原告が昭和三六年三月二八日付で差し出した訂正明細書の記載に基いて、本願発明の要旨を「常態に於て液状で炭酸ガスを部分的に溶解し得る有機溶剤と噴霧せんとする溶質とを収容し容器中に所定量の固体炭酸を投入密封することを特徴とするエアロゾル性混合物の霧化圧力附与方法」にあると認定したうえ、『抗告審判において発せられた拒絶理由通知に引用されている昭和二九年特許出願公告第一、五〇〇号公報(第一引用例)には、その特許請求の範囲の項に、「液状又はクリーム状化粧料とパラフイン系、オレフイン系、ナフテン系低級炭化水素、低級炭化水素ハロゲン誘導体、同窒素誘導体の液化瓦斯及び炭酸瓦斯の単独又はそれらを混合溶解した混合溶液(但し塩素弗素誘導体は他との混合物としてのみ使用)を噴射嘴を有する圧力容器に封入したエアロゾール性化粧料」と記載されており、かつ、ここにいう「液状又はクリーム状化粧料」とは、その多くは本願発明にいう「常態に於て液状で炭酸ガスを部分的に溶解し得る有機溶剤」を含有しているような化粧料であることは、同引用例に記載された七個の実施例中の五個の例にアルコール又はメタノールが添加されていることより明白であり、さらに上記の炭酸ガスは霧化圧力付与剤として添加されるものであることも同引用例全体の記載から明白であるから、この第一引用例には、常態において液状炭酸ガスを部分的に溶解し得る有機溶剤を含有する液状又はクリーム状の化粧料と炭酸ガスの単独溶解した混合溶液を噴射嘴を有する圧力容器中に密封するエアロゾル性混合物の霧化圧力付与方法について記載されていると認めざる得ない』旨説示し、本願発明の方法と右第一引用例記載の方法とを比較検討した結果として、『第一引用例には、炭酸ガスを添加溶解する具体的手段についての記載がなく、したがつてこれを本願発明の方法におけるように固体炭酸の形で添加溶解するものであるか否かについて、そこまでの明記がない点で』両者は僅かに相違するにすぎないとし、この相違点について、『炭酸ガスの他物質への添加溶解手段としては、普通にはこの炭酸ガスを気体状で添加するか、液状で添加するか或は固体状(即ち固体炭酸)で添加するかの三通りがあるにすぎず、そのうちのいずれの手段を選ぶかは当業者が任意に選択し得られる程度のことであるばかりでなく、炭酸ガスを圧力付与剤として容器に密封するに当つて、この炭酸ガスを固体炭酸の形で用いること自体も、前記拒絶理由通知に引用の昭和七年実用新案出願公告第一九、一一四号公報(第二引用例)の記載により本願特許の出願前より公知のことであり、本願発明の方法において炭酸ガスを特に固体炭酸の形で添加することによつて奏する作用及び効果も、明細書及び意見書の記載によれば、取扱が容易であるとか或は封入操作が簡便であるとかいうような固体炭酸の本願出願前より周知の本来の性質より当然に予測できる程度の域を出ないものであるから、炭酸ガスを添加溶解することが記載されている第一引用例の方法において、この炭酸ガスを固体炭酸の形で添加するようなことは、当業者が容易に想到し得られる程度のことであつて、結局本願は、その出願前国内に頒布された前記両引用刊行物に記載された技術内容から当業者の容易に推考できる程度のものと認められ、旧特許法第一条の発明と認めることはできない』旨判断しているのである。

三、審決の取消原因

しかしながら、前記審決は、次に述べる理由によつて違法のものであり、取り消されるべきである。

(一)  審決は、本願発明の要旨についての認定を誤り、この誤つた認定に基いて右発明の特許要件の有無を判断した点において違法である。

すなわち、原告は、昭和三六年五月一二日付手続補正書により、本願発明を前記のように「エアロゾル性消火剤の製造方法」とし、その特許請求の範囲を「常態において液状で炭酸ガスを部分的に溶解した容器中に所定量の固体炭酸を投入し密封することを特徴とするエアロゾル性消火剤の製造方法」とする等明細書の記載の訂正をし、右補正書は同月一四日特許庁に到達しているのである。一方特許庁は、同月一二日付で抗告審判の審理を終結したが、その通知は同月一九日発送せられ、翌二〇日抗告審判請求代理人(原告代理人)に到達したものである。

元来、明細書の訂正は抗告審判においてもこれをなし得べく、しかも抗告審判の審決がなされるまでは何時でもこれをなし得るものであることは、旧特許法施行規則第一一条第二項の規定の趣旨からみて当然であり、これを審理の終結前にかぎつて許さるべきものとすることを定めたなんらの規定もない。なお、旧特許法第九条により特許出願を分割した場合において、同法施行規則第四四条第二項の規定に基いてなす明細書の訂正は、従来拒絶査定後の差出しにかかる場合でも、拒絶査定の確定前であれば受理されてきたものであり、特許庁の例規にもそのように定められている。拒絶査定不服の抗告審判においては、審査に関する規定が大巾に準用されていることからみても、審決前であれば、審理終結の前後を問わず、明細書の訂正は受理せられるべきである。

かりに、審理終結後においては明細書の訂正が許されず、審理終結の時が特許出願にかかる発明の要旨を認定する基準時となるものとすれば、そのような効力は、抗告審判請求人が審理終結の事実を知り得た時すなわち審理終結の通知(旧特許法第一一〇条第一〇五条第三項)が抗告審判請求人に到達した時に生ずるものと解すべきである。そして、前記のように、原告代理人の差し出した訂正書は、審理終結通知が原告代理人に到達する以前に特許庁に到達していたのであるから、特許庁としては右訂正書による明細書の訂正を無視することが許されないはずである。

なお、原告の右明細書の訂正は、旧特許法第九条第一項同法施行規則第四四条第一項の規定に基いてしたものであり、右訂正は特許出願の分割にかかる他の発明についてなす新たな出願と同時になすべきものであるから、右訂正明細書は右施行規則第一七条第一項所定の「差出スヘキ期日若ハ期間ノ定アル書類」に該当し、郵便によつて差し出した場合には郵便物受領証によつて証明される差出の日時にその差出の効力を生ずるものであることは同条項の規定に照らして明らかである。そして、原告代理人が昭和三六年五月一二日書留郵便により前記訂正書を差し出したことは、書留郵便受領証等をもつて十分証明せられ得るところであるから、この点からしても、特許庁は原告のした右効力を無視することができない筋合である。

しかるに、審決は前記昭和三六年五月一二日付訂正書による本願発明の訂正の効力を無視し、訂正にかかる本願発明についてはなんら審理判断をなさず、訂正前の明細書の記載に基き前記のように発明の要旨を認定したうえ特許要件を具備しないと判断したものであり、この点において違法の審決たるを免れない。

(二)  のみならず、審決は右訂正前の明細書記載の発明の要旨に対する判断としても、エアロゾル性混合物の霧化圧力付与方法の技術的特性を無視した非科学的な判断という外はない。

1 第一引用例(昭和二九年特許出願公告第一、五〇〇号公報)について

本願発明は消火剤の製造方法に関するものであるのに反し、第一引用例の発明は化粧料についてのものであつて、同引用例には消火剤に関してはなんらの記載がなく、また炭酸ガスを単独に霧化圧力付与剤として使用することおよびその可能性を示唆するような記載は全然ないのである。

右引用例記載の発明の実施例(四)陽やけどめの項に石油系混合液化ガスとの併用が記載されているが、炭酸ガスの使用量は石油系混合液化ガスに比すれば極めて少なく、霧化圧力付与剤としては気体のガスを圧縮したいわゆる液化ガスに属し、炭酸ガスは液化ガスの圧力不足を補うため多少これに溶解して使用するか、もしくは液化ガスの不燃化剤として使用するものであつて、炭酸ガスの霧化圧力付与剤としての単独使用、殊に炭酸ガスを別途に圧縮液化したものもしくは固体炭酸を単独に使用することはこれを意図していないものと解せられる。第一引用例の特許請求の範囲には「………液化瓦斯及び炭酸瓦斯の単独又はそれらを混合溶解した混合溶液………」との記載があるが、発明の詳細なる説明の項の記載全体の趣旨からして前記のように解する外はない。

これに反し、本願発明は、前記訂正以前のものにおいても、固体炭酸を使用し、またそれを霧化圧力付与剤として単独に使用するものである。固体炭酸はガス体のものと異なり、容器に収容するのに大なる容積を必要とせず、したがつて一定の容器に収容し得る有効成分を増大することができ、封入操作も簡易であり、またガス体で添加した場合とちがつて、短時間に容器内で溶剤に多量に溶解され、充填物の初圧と終圧との圧力差を少なくすることができるので、最後まで完全に噴霧の効果を発揮することができる。そしてまた、固体炭酸は不活性体なので、第一引用例の実施例に示されている炭酸ガスと他の圧力付与剤を併用した場合に考えられるような反応のおそれがなく、他の内容物を最後までその特性を傷うことなく使用することができるし、また第一引用例のようにハロゲン誘導体等を用いる必要がないから、容器が腐蝕されるおそれがない。

審決は、炭酸ガスの他物質への添加溶解手段としては、普通には、気体状・液状もしくは固体状(固体炭酸)で添加する三通りの方法があるにすぎず、そのうちいずれを選ぶかは当業者が任意に選択し得るところである、と説示しているが、これは固体炭酸が前記のような独特の作用効果を有することを看過したきわめて形式的な判断という外はない。

2 第二引用例について

第二引用例は、圧力槽(蓄圧タンク)に液体混入防止管を備えた装置に関するもので、内容液の噴出を防止することを目的とし、右装置における圧力源は、圧縮ガスであればその種類の如何を問わないものである。実施例として固体炭酸を気化せしめて炭酸ガスに還元する圧力についての記載があるが、この場合固体炭酸は槽内に存する少量の水のため急激に気化し、気圧が急速に上がることを特徴とするけれども、槽内の水は、溶剤としてではなく、固体炭酸の気化熱源としての役割しか果たしておらず、固体炭酸も霧化圧力付与剤として利用されているのではない。

本願発明は、前記訂正前のものにあつても、発明の詳細なる説明の項に記載しているように、「封入された固体炭酸は、容器内において逐次溶剤からの伝熱により気化し容器内の圧力を高めつつ溶剤に溶解」し「容器内容物が噴霧によつて減少すると溶解炭酸ガスは逐次気化してその空所を満たして行く」ものである。すなわち、同発明は内容物を溶解ガスとともに噴出せしめることを目的とし、固体炭酸は霧化圧力付与剤として利用せられ、これを封入充填する時には可及的緩漫な気化を計るため適当な溶剤を選定するものであつて、第二引用例において大量の固型炭酸を気化して圧力炭酸ガスを槽内に貯溜し、そのガス自体を利用するのとは全く趣を異にし、要するに、右発明と第二引用例とは、固体炭酸を使用する目的および作用効果が全く逆の関係になつているのである。なお、本願発明の特許出願日(昭和三一年七月九日)より後の昭和三二年二月九日に出願された特許第二七八、三八二号「エアロゾル性殺虫剤の製造方法」は、その発明の要旨が「常態において液状で炭酸ガスを部分的に溶解し得る有機溶剤と噴霧せんとする殺虫剤とを収容した容器中に所定量の固体炭酸を投入し密封することを特徴とするエアロゾル性殺虫剤の製造方法」にあり、原告出願の発明と溶質の点を異にするのみであるにかかわらず、特許されていることからみれば、右の特許発明は前記第一および第二引用例から当業者の容易に推考し得るものでないとの判断のもとに特許を認められたものと考える外はなく、そうだとすれば、原告の出願にかかる前記発明もまた右両引用例から容易に推考し得ないものと判断せらるべきである。

以上のように、原告出願の発明は、固体炭酸を霧化圧力付与剤として使用したことにより、審決記載の両引用例から望み得ない効果を奏するものであり、その効果は固体炭酸の本来の性質から当然に予測できるといつたようなものではないのであつて、前記両引用例記載の技術内容から当業者が容易に推考し得る程度を出ないものであるとしてその特許性を否定した本件審決は、右の点においても判断を誤つた違法があるといわねばならない。

よつて、これが取消を求める。

第三、被告の答弁

被告代理人は、請求棄却の判決を求め、前記請求原因に対し次のように述べた。

一、原告主張の一および二の事実は認める。

二、同三の主張については、原告出願の発明につき明細書の訂正をした昭和三六年五月一二日付手続補正書が同月一四日特許庁に到達したこと、原告主張の抗告審判事件につき特許庁が発した昭和三六年五月一日付審理終結の通知が同月二〇日抗告審判請求人(原告)の代理人に送達されたことは認めるが、右手続補正書による訂正明細書の差出および右審理終結通知の効力ないしはその効力発生時期ならびに原告主張の発明の特許要件に関する原告の見解はこれを争う。

(一)  旧特許法第一〇五条第三項・第五項の規定によれば、事件が審決をなすに熟したときは審判長は審理の終結を当事者および参加人に通知すべく、審決は右通知を発した日から二〇日以内にこれをなすべきものと定められているのであつて、この規定の趣旨からすれば、審決は、審判長が審理終結の通知を発した時より以前に適法有効に特許庁に差し出された明細書について審理判断すれば足りるものであり、審理終結の通知の効力はその到達の時でなく、これを発した時に生ずるものと解すべきである。

一方、原告主張の昭和三六年五月一二日付手続補正書による明細書の訂正は、旧特許法第九条同法施行規則第四四条第一項の規定に基いてしたものであるが、そのことのために右補正書が右施行規則第一七条所定の書類に該当するということはできない。元来、行政上の諸手続についても、原則としては到達主義が適用されているのであり(特許庁に差し出すべき書類もしくは物件につき同施行規則第一八条)、ただ特許願書または特許庁に差し出すべき期日もしくは期間の定めのある書類もしくは物件については、特許庁と当事者との間の地理的間隔の差異に基く不平等を排除する必要があるため、例外として前記施行規則第一七条により発信主義を採用したものにすぎない。ところが、二以上の発明を包含する特許出願を分割した場合の各出願は、旧特許法第九条の規定によつて明らかなように、従前の出願を訂正したものについては勿論新たな出願をしたものについても、最初の出願の時に出願したものとみなされるのであるから、特許出願の分割に当たつての新たな出願の具体的な出願日は法律上問題とする価値がなく、これにつき発信主義を適用すべき必要はない。前記施行規則第四四条第一項は、単に出願の訂正と新たな出願とを手続上同時になすべきことを定めているにすぎないのであつて、この場合における一発明についての訂正書は、前記施行規則第一七条にいう特許願書に当たらないのは勿論、差し出すべき期日もしくは期間の定めのある書類にも該当せず、同施行規則第一八条により原則である到達主義が適用されるものといわねばならない。

それゆえ、原告主張の昭和三六年五月一二日付手続補正書による明細書の訂正は、審決にあたつて考慮する必要がなかつたものである。しかも、右補正書については不受理処分がなされているわけではなく、特許庁は、審決書に記載してはいないけれども、一応右訂正にかかる明細書記載の発明についても、これを判断の対象としたうえで、後記のような理由によつて右発明についての特許は拒絶せらるべきものと判断したのであるから、本件審決には原告主張のような違法はない。

(二)  原告は、第一引用例には固体炭酸を単独に圧力付与剤として用いることについての記載がないと主張するが、第一引用例の特許請求の範囲の記載によれば炭酸ガスを単独に用いることが明示されており、かつこの炭酸ガスは圧力付与剤として用いるものであることも右第一引用例の全体の記載からみて明らかである。尤も、第一引用例には固体炭酸を用いることの記載はなく、そして圧力付与剤として炭酸ガスを用いる場合において、固体炭酸を使用すると否とによりその溶解速度および溶解機構等に関し作用効果の点で多少の差異があることは認めるけれども、固体炭酸を使用することによる作用効果は、終局的には、審決にも説示したように、取扱いが容易であるとか封入操作が簡便であるとかいうような、固体炭酸の従来周知の性質から当然に予測し得る程度の域を出ないものに帰着するのである。

次に、第二引用例と原告の出願にかかる発明とでは、前者が固体炭酸を霧化圧力付与剤として使用するものでないという点で、固体炭酸を用いる目的および作用効果につき多少の差異があることも争わないが、いずれも炭酸ガスを圧力付与剤として使用する目的で、これを固体炭酸の形で容器に密封することにおいて変わりがないから、圧力付与剤としての範囲内においては、その目的および作用効果に共通性が存するものということができるのであり、その他、昭和三六年五月一二日の審理終結前における本願発明が前記第一・第二引用例より当業者が容易に推考し得る程度の域を出ないものであることは審決の理由(原告の請求原因第二項所掲)に説示しているとおりである。

(三)  原告が昭和三六年五月一二日付手続補正書により訂正した明細書の記載によれば、その訂正の内容は、右訂正前の特許出願にかかる発明では固体炭酸を霧化圧力付与剤としてすべてのエアロゾル製品に応用できるとしていたのを、単に消火剤に応用することに限定したこと、換言すれば溶質を消火剤に限定したことにすぎない、そして、本願発明の要点は、右溶質に関する訂正にもかかわらず、炭酸ガスを溶解し得る有機溶剤とともに固体炭酸を容器内に密封する点に存するものと認められ、溶質には格別重要な意義が認められないばかりでなく、かりに、溶質を限定したことにある程度の意義があるとしても、この種のエアロゾル性組成物の製造において、その溶質を適宜変更する程度のことは、当業者が必要に応じて任意になし得べき範囲を出ないものであるから、審理を再開して改めて訂正明細書に基いて審理するまでもないと判断して、本件審決をしたものである。(なお、噴霧質性消火剤の圧力付与剤として炭酸ガスを単独に使用することも、特許出願公告昭和三〇年第四六〇〇号公報の記載により従来公知のことにすぎない。)なお、原告は、特許第二七八、三八二号「エアロゾル性殺虫剤の製造方法」の発明と本願の発明とを比較し、本願発明が特許要件を具備する旨主張するけれども、右両発明は発明の要旨を異にするばかりでなく、特許要件を欠く発明が過誤により特許される場合もあり得るのであるから、原告の右主張も理由のないものである。

第四、証拠関係<省略>

理由

一、原告主張の一の手続経過、二の審決理由については当事者間に争いがない。

二、原告主張の三の(一)について

(一)  前記の当事者間に争いのない事実と成立に争いのない甲第二号証の一、二、三を合わせ考えると、原告は当初発明の名称を「噴霧方法」とし、特許請求の範囲を「容器内の溶液を自動的に噴出噴霧させる場合の圧力源として固形炭酸ガス(ドライアイス)を使用することを特徴とする噴霧方法」として特許を出願したところ、抗告審判において昭和三六年三月二八日付訂正明細書により、発明の名称を「エアロゾル性混合物の霧化圧力附与方法」とし、特許請求の範囲を「常態に於て液状で炭酸ガスを部分的に溶解し得る有機溶剤と噴霧せんとする溶質を収容した容器中に所定量の固体炭酸を投入し密封することを特徴とするエアロゾル性混合物の霧化圧力附与方法」と訂正したが、その後さらに同年五月一二日付手続補正書を特許庁に差し出し、右特許出願を「エアロゾル性消火剤の製造方法」外三件の出願に分割し、右「エアロゾル性消火剤の製造方法」については、特許請求の範囲を「常態に於て液状で炭酸ガスを部分的に溶解し得る有機溶剤と噴霧せんとする消火剤とを収容した容器中に所定量の固体炭酸を投入し密封することを特徴とするエアロゾル性消火剤の製造方法」とする等明細書を訂正し、他の三件については新たに特許願書を差し出したものであることが明らかであり、右明細書の訂正を行なつた手続補正書が昭和三六年五月一四日特許庁に到達したこと、一方特許庁では前記抗告審判事件につき同月一二日付で審理を終結し、審判長の発した審理終結の通知が同月二〇日抗告審判請求代理人(原告代理人)に到達したことはいずれも当事者間に争いがない。

(二)  そこで、右審理終結通知のもつ効果の点について考察する。旧特許法の例による本件において、同法第一一〇条によつて抗告審判の手続にも準用されている同法第一〇五条は、審判は別段の規定のある場合を除き審決をもつてこれを終了するものとし、事件が審決をなすに熟したときは審判長は審理の終結を当事者および参加人に通知すべく、審判長は必要のあるときは審理終結の通知後でも申立によりまたは職権をもつて審理の再開をなし得る旨規定している。ところで、右のように審判は審決をもつて終了すべき建前となつているが、本来の申立事項についての判断手続に対し附随的・派生的な関係にあるものについては、例えば審判官の除斥・忌避の申立の当否、参加の許否についての判断は審判官の合議体による決定をもつてなし、また方式違背の審判請求書で補正されないものは審判長の決定をもつて審判請求書を却下すべきものとしていること(第九五条第一項、第九九条第三項、第八七条第二項)その他審判に関する全般の規定の趣旨に徴すれば、特許法においても、審判については、民事訴訟におけると同様に、本案事項の判断手続としての審決手続とこれに対し附随的・派生的な関係にある手続を分かち、審決手続は判決手続に準ずるものとして取り扱われていることを知ることができる。尤も、審決手続においては、民事訴訟の判決手続におけるような必要的口頭弁論主義をとつていないので、審決前における審理終結の手続は必然的に要請されるものということはできないが、前記の趣旨からして判決手続における口頭弁論の終結に準じて、審決の前段階として審理終結の手続を設け、審判官の合議体において事件が審決をなすに熟したものと認めたときは、審判長において審理終結の旨を当事者および参加人に告知すべきものとし、これによつて審理終結となつた後は、原則として判断の基礎となし得べき資料の変動を認めず、審理の再開をしないかぎり、審理終結後の提出にかかる資料はこれを採り上げることを要しないものとする趣旨に出たものと解するのが相当である。原告は、この点に関する第一次的主張として、審理終結後でも審決がなされるまでは明細書の訂正をなし得ることは旧特許法施行規則第一一条第二項の規定からみて当然であるというけれども、同条項にいう審判・抗告審判または再審の係属中とは、前記の理由により審理終結に至るまでにかぎられるものと解すべきであり、原告の右主張は採用できない。

(三)  ところで、審理終結は前記の効果のほか、審判・抗告審判・再審の請求の取下、抗告審判請求の放棄ならびに参加等をなし得べき時期的制限の効果をも生ずるものとされているのであるが(旧特許法第九八条、第一〇二条、第一一〇条の三、四、第一二三条)、これらの審理終結の効果がいつ発生するかについて考えてみるのに、前記のような結審手続を設けた趣旨および審理終結に伴う右の諸効果を照らし合わせれば、審理の終結は審判長が当事者および参加人にその旨の告知をしたときにその効果を生ずるものと解すべきである。(旧特許法第一〇五条第三、第四項に「通知」とあるのは、審決手続においては口頭審理を必要的のものとしておらず、むしろ書面審理で結審する方が事実上多いことによるものであり、口頭審理において口頭で告知することを妨げる趣旨ではないと解される。)そして、審判長のなす審理終結の告知は、当事者および参加人に対する特許庁側の意思表現であり、前記のような効果を生ずるものであることからみて、反対に解すべき根拠がないかぎり、書面による通知の場合にはその書面が右の被告知者に到達した時に告知の効力を生じ、これによつて審理終結の状態が現出されるものというべきである。被告は、旧特許法第一〇五条第五項において、審決は審理終結の通知を発した日より二〇日以内にこれをなすべき旨規定されていることを根拠として、右通知の発せられた時に審理終結の効果を生ずる旨主張するけれども、右は、審理終結の通知を発する時には、一応審決をなすに熟しているべき建前になつているわけであるから、徒らに審決が遅延することを防ぐため、審理終結の通知を発した日より二〇日を超えないうちに審決をなすべき旨を定めたものであり、いわゆる訓示規定にすぎず、これをもつて前記説示と反対の見解をとる根拠とするに足りないものと解せられる。また、審判参加および審判請求の取下をなし得べき時期に関し、旧特許法第九八条・第一〇二条は、これらの行為は「審理ノ終結ニ至ル迄」これをなし得る旨規定していたのを、現行法においては、審判参加につき同様の表現を用い(第一四八条)、請求取下につき、審理終結の「通知があつた後は」これをなし得ない旨の表現に改めている(第一五五条、この表現は通知到達の時を基準点としていること明らかである。)けれども、右は単に法文の表現上の問題にすぎず、実質上旧法の規定を変更したものとは解し難く、請求取下の制限と参加申出、補正等の行為の制限とで、その効果発生の時期を異にすべき理論上の根拠はない。したがつて、これまた前記説示のような解釈を支持すべき根拠にこそなれ、右解釈を不当とする根拠となすに足りない。なお、本件は、拒絶査定不服の抗告審判に関するものであり、右査定に対する再審査手続に相当し、無効審判・確認審判・実施権設定の審判およびこれらに対する抗告審判のような対立当事者の存する手続と異なるので、手続上の取扱を異にする点の存することは明らかであるが、審理終結の通知に関しては、参加人が存しないことによる相違は別とし、同様に取り扱われるべきものと解するのが相当であり、したがつて、明細書の訂正をなし得べき時期的制限の点については、審理終結の通知が抗告審判請求人である原告の代理人に到達した時を基準として決すべきものといわねばならない。

(四)  そして、本件において審判長の発した審理終結の通知が原告代理人に送達された時より前に原告主張の手続補正書が特許庁に到達していたことは先に認定したとおりである。してみれば、特許庁としては、右補正書により訂正された明細書の記載により、その訂正が適法であるか否か、適法とすれば訂正にかかる発明が特許要件を具備するか否かについて審理判断すべきであつたといわねばならない。

しかるに、成立に争いのない甲第四号証(審決謄本)前顕甲第二号証の二(明細書)の記載および弁論の全趣旨によれば、本件審決においては、原告の昭和三六年三月二八日付訂正明細書の記載に基いて出願にかかる発明の要旨を認定し、これに対する判断を示してあるが、同年五月一二日付訂正明細書記載の発明についてはなんらの判断をも示していないことが認められる。被告は、右五月一二日付訂正明細書の記載についても、念のためこれを判断の対象としてとりあげた旨主張するけれども、特許出願にかかる発明がいかなるものであり、いかなる理由によつて特許を拒絶すべきものと判断したかということは拒絶査定不服の抗告審判において請求を排斥するにつき判断すべき主要な事項であり、その判断の内容は必ずこれを審決に示すべきであつて、そうでなければ右の判断をしなかつたのと同一に帰し、審決に理由を附すべきことを要求する旧特許法第一〇五条第二項の趣旨にも反することになるものといわざるを得ない。

してみれば、前記のように本件出願にかかる発明につき明細書の特許請求の範囲等の訂正が適法有効になされたにもかかわらず、訂正にかかる発明の特許要件の有無につきなんらの判断をも示さず、訂正前の明細書に基く判断を示したに止まる本件審決は、右の点において違法たるを免れない。

三、よつて、右審決の取消を求める原告の本訴請求は、爾余の争点について判断するまでもなく、これを正当として認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 原増司 山下朝一 多田貞治)

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